『にっしー伝説』 by ヒロ
どうも、この度音ブログデビューを果たしました、パーカッションパートのにっしー(ヒロ)です!
しっくり来る方でお呼びくださいm(__)m
「何の伝説やねん!」っちゅう話なのですが、デビューに当たってまずは他のお二人の伝説に習って生い立ちから掲載されたしと思いました。
長文ですが、お付き合いいただければ幸いかと存じます……(汗) (_ _;)
現在の音楽までの経緯。
【chapter1】 (0歳~小学校入学まで)
昭和58年1月、和歌山県和歌山市にて生まれる。
出生当時から体が小さかったらしく現在も身長160cmとトホホ。
4歳から保育園に入園、背の順で常に一番前だったですなぁ(´▽`)'`'`'`
5歳から近所の影響を受けたのか、母に連れられてヤマハエレクトーン教室に通うことに……。
この当時から音楽に触れていたせいかそれなりに音感が身に付く。
当時運動会のかけっこで非常に嫌な思いをしたせいで、テーマ曲、トリッチ・トラッチ・ポルカが大嫌いになる。
夢はクジラになること!!!
大きくなりたかったんです(: _ :)
【chapter2】 (小学生時代)
このころから羞恥心が芽生え出したのか、エレクトーン教室に通う子に女の子が多く、男の子が減って来たと言うこともあり音楽をやることに対して恥ずかしく思うようになる。
特に発表会の時の衣装には耐えられない何かが、お陰で表情は硬くあだ名はお地蔵さん……
小学校入学後も常に背の順一番!!\(`ー+´)ノ
なぜか音楽の授業で聞いたファランドールに惹かれる。
【chapter3】 (中学生時代)
中学校入学当初の身長は136cmでしたぁ、ちっちぇ~。
よって背の順のポジションが変わる事がありませんでした(--;)
我が中学校に吹奏楽部はなく、テニス部に入部。
3年間やり抜いたものの女子ばかり成績を残し挙句コートを占領され虚しい部活生活を送る……(- -)
音楽活動としては夏休みの音楽の自由課題でリコーダーの作曲があり、佳作に入選。
中学でも音楽だけは成績が5でした(_ _)
しかしながら受験が絡み、約10年続けたエレクトーンを辞めることになりました。
最後に弾いたのはシャランQのズルい女。
【chapter4】 (高校時代)
この頃になると、身長などどうでもよくなっていました、ただ女子より低いとやっぱり悔しかったですが……(汗)
高校入学4日目にして交通事故に遭い、骨折、そのせいで部活を決めるのが遅くなる。
遅々吹奏楽部に入部、既にその時やりたかったトランペットは埋まっていてパーカッションに強制決定。
この事故のお陰で現在もパーカッションに至り、何らかの縁があったのでしょうか(^^;)
コンクールでバレエ音楽「シルヴィア」より狩の女神でティンパニーデビュー!!
そのフレーズの一部が目立ってか、あだ名で「だんだだん」と呼ばれる。
名前を覚えられる前に「だんだだん」と呼ばれるのは複雑な思いがありました(_ _;)
その後、2年生後半から部長として活動しましたが力不足で中々まとまらない活動状態でしたm(__)m
在学中のコンクールの成績は以下の通り!
1年生 ドリーブ 作曲 バレエ音楽「シルヴィア」より「狩の女神」 (銀賞)
2年生 團伊玖磨 作曲 ブラスオーケストラのための行列幻想より第3楽章「そして男と女の行列」 (銀賞)
3年生 ミヨー 作曲 フランス組曲より 1「ノルマンディー」 3「イル・ド・フランス」 5「プロヴァンス」 (金賞)
でした。関西大会に出場する事は出来なかったですが、3年生の時の金賞が銀賞から訂正されたものだったので非常に印象に残ってます(^_^;)
卒業式を終えても部活に毎日参加。しかし、定期演奏会が就職後だった為練習の甲斐なく出演できず(T_T)
また、吹奏楽部の5人でバンドを組み、ガラでもなく黒夢やハイスタンダードのコピーをやっていました(__;)
【chapter5】 (~現在)
平成13年9月、仕事上広島に赴任。それから約2年音楽から離れるも、部活時代の後輩から関西大学軽音楽部のライブに誘われ再び音楽がやりたいと火が点く。
後たまたまた立ち寄ったヤマハ楽器店で貼られていたシティのチラシに目が留まり見学、即入団となる。
(確か)平成16年のさざなみフェスティバルで演奏されたサウンド・オブ・ミュージックメドレーにてシティデビュー!!
以来お陰さまで在団5年目を迎えることが出来ました。
一応今のパーカッションのメンバーでは一番長いものの仕事の都合上その内約半分が休団と言う形になっています。
まだまだまだまだ……修行不足でかなり雑音を交えてるかと思いますが、こんな僕をこれからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m
しっくり来る方でお呼びくださいm(__)m
「何の伝説やねん!」っちゅう話なのですが、デビューに当たってまずは他のお二人の伝説に習って生い立ちから掲載されたしと思いました。
長文ですが、お付き合いいただければ幸いかと存じます……(汗) (_ _;)
現在の音楽までの経緯。
【chapter1】 (0歳~小学校入学まで)
昭和58年1月、和歌山県和歌山市にて生まれる。
出生当時から体が小さかったらしく現在も身長160cmとトホホ。
4歳から保育園に入園、背の順で常に一番前だったですなぁ(´▽`)'`'`'`
5歳から近所の影響を受けたのか、母に連れられてヤマハエレクトーン教室に通うことに……。
この当時から音楽に触れていたせいかそれなりに音感が身に付く。
当時運動会のかけっこで非常に嫌な思いをしたせいで、テーマ曲、トリッチ・トラッチ・ポルカが大嫌いになる。
夢はクジラになること!!!
大きくなりたかったんです(: _ :)
【chapter2】 (小学生時代)
このころから羞恥心が芽生え出したのか、エレクトーン教室に通う子に女の子が多く、男の子が減って来たと言うこともあり音楽をやることに対して恥ずかしく思うようになる。
特に発表会の時の衣装には耐えられない何かが、お陰で表情は硬くあだ名はお地蔵さん……
小学校入学後も常に背の順一番!!\(`ー+´)ノ
なぜか音楽の授業で聞いたファランドールに惹かれる。
【chapter3】 (中学生時代)
中学校入学当初の身長は136cmでしたぁ、ちっちぇ~。
よって背の順のポジションが変わる事がありませんでした(--;)
我が中学校に吹奏楽部はなく、テニス部に入部。
3年間やり抜いたものの女子ばかり成績を残し挙句コートを占領され虚しい部活生活を送る……(- -)
音楽活動としては夏休みの音楽の自由課題でリコーダーの作曲があり、佳作に入選。
中学でも音楽だけは成績が5でした(_ _)
しかしながら受験が絡み、約10年続けたエレクトーンを辞めることになりました。
最後に弾いたのはシャランQのズルい女。
【chapter4】 (高校時代)
この頃になると、身長などどうでもよくなっていました、ただ女子より低いとやっぱり悔しかったですが……(汗)
高校入学4日目にして交通事故に遭い、骨折、そのせいで部活を決めるのが遅くなる。
遅々吹奏楽部に入部、既にその時やりたかったトランペットは埋まっていてパーカッションに強制決定。
この事故のお陰で現在もパーカッションに至り、何らかの縁があったのでしょうか(^^;)
コンクールでバレエ音楽「シルヴィア」より狩の女神でティンパニーデビュー!!
そのフレーズの一部が目立ってか、あだ名で「だんだだん」と呼ばれる。
名前を覚えられる前に「だんだだん」と呼ばれるのは複雑な思いがありました(_ _;)
その後、2年生後半から部長として活動しましたが力不足で中々まとまらない活動状態でしたm(__)m
在学中のコンクールの成績は以下の通り!
1年生 ドリーブ 作曲 バレエ音楽「シルヴィア」より「狩の女神」 (銀賞)
2年生 團伊玖磨 作曲 ブラスオーケストラのための行列幻想より第3楽章「そして男と女の行列」 (銀賞)
3年生 ミヨー 作曲 フランス組曲より 1「ノルマンディー」 3「イル・ド・フランス」 5「プロヴァンス」 (金賞)
でした。関西大会に出場する事は出来なかったですが、3年生の時の金賞が銀賞から訂正されたものだったので非常に印象に残ってます(^_^;)
卒業式を終えても部活に毎日参加。しかし、定期演奏会が就職後だった為練習の甲斐なく出演できず(T_T)
また、吹奏楽部の5人でバンドを組み、ガラでもなく黒夢やハイスタンダードのコピーをやっていました(__;)
【chapter5】 (~現在)
平成13年9月、仕事上広島に赴任。それから約2年音楽から離れるも、部活時代の後輩から関西大学軽音楽部のライブに誘われ再び音楽がやりたいと火が点く。
後たまたまた立ち寄ったヤマハ楽器店で貼られていたシティのチラシに目が留まり見学、即入団となる。
(確か)平成16年のさざなみフェスティバルで演奏されたサウンド・オブ・ミュージックメドレーにてシティデビュー!!
以来お陰さまで在団5年目を迎えることが出来ました。
一応今のパーカッションのメンバーでは一番長いものの仕事の都合上その内約半分が休団と言う形になっています。
まだまだまだまだ……修行不足でかなり雑音を交えてるかと思いますが、こんな僕をこれからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m