定期演奏会2019 by 団長
2019.7.7(日)、定期演奏会2019を開催しました。
こうして無事に演奏会を開催できましたこと、多くの方のご協力があってのことです。
団員一同、心より感謝申し上げます。
毎回1部は、聴き応えがあり飽きさせないように曲を選択していますが、
団員が演奏してやりがいがあって楽しめる曲でもあります。
それぞれの楽器の見せ場もあり、また全体での迫力など感じていただけたのでは、と思います。
個人的には今回もホルンを担当しましたので、とても気持ち良く吼えていました。
今回2部では物語に沿った曲で構成しています。
もし音楽と合わせて楽しんでもらえたのであれば、とても嬉しく思います。
聞いただけでは把握しきれなかった方のために、彼の略歴をまとめておきます。
○幼少期
おばあちゃん子で、一緒に虹を見たり、歌を歌ってもらう。
○1995年7月7日 6才
いろんなところへ、ぼうけんにいきたい。
○2001年7月25日~26日 12才(小6夏休み)
沖縄で海に潜った。
○2009年3月3日 19才
高校卒業後、世界中を旅してサバンナにも行った。
スコットランドで大阪の人に会う。
○2010年10月13日 21才
ヨーロッパの田園風景で虹を見る。
直後に日本に帰る。
○2015年12月24日 26才
地元で就職して、仕事の苦労も楽しみたい。
小型飛行機に乗りたい。
○2018年11月3日 29才
免許取得後、初めての空の旅。
こうして無事に演奏会を開催できましたこと、多くの方のご協力があってのことです。
団員一同、心より感謝申し上げます。
毎回1部は、聴き応えがあり飽きさせないように曲を選択していますが、
団員が演奏してやりがいがあって楽しめる曲でもあります。
それぞれの楽器の見せ場もあり、また全体での迫力など感じていただけたのでは、と思います。
個人的には今回もホルンを担当しましたので、とても気持ち良く吼えていました。
今回2部では物語に沿った曲で構成しています。
もし音楽と合わせて楽しんでもらえたのであれば、とても嬉しく思います。
聞いただけでは把握しきれなかった方のために、彼の略歴をまとめておきます。
○幼少期
おばあちゃん子で、一緒に虹を見たり、歌を歌ってもらう。
○1995年7月7日 6才
いろんなところへ、ぼうけんにいきたい。
○2001年7月25日~26日 12才(小6夏休み)
沖縄で海に潜った。
○2009年3月3日 19才
高校卒業後、世界中を旅してサバンナにも行った。
スコットランドで大阪の人に会う。
○2010年10月13日 21才
ヨーロッパの田園風景で虹を見る。
直後に日本に帰る。
○2015年12月24日 26才
地元で就職して、仕事の苦労も楽しみたい。
小型飛行機に乗りたい。
○2018年11月3日 29才
免許取得後、初めての空の旅。
『定期演奏会2019 未来を切り拓く旅へ出航!』 by くま
2019年7月7日(日)、無事に定期演奏会が終了いたしました。
多くのお客様にご来場いただき、開場前から並んでくださったお客様もいらっしゃいまして本当に嬉しく思いました、
心から感謝を申し上げます。
昨年7月の西日本豪雨災害からちょうど1年がたち、昨年目の前に広がった光景を未だ忘れることは出来ませんが、今年またこうして演奏会を無事に開催できましたこと、
いろいろな方々のお力があってこそだと終わった今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
今年の定期演奏会は39回目の演奏会でした。
演奏会の準備は昨年の9月から開始で、まず団員から演奏したい曲の募集を始めました。
そこからおよそ10か月の時間をかけて
曲を決め、演奏会の流れを検討して演出や衣装、物品作成をして準備を進めてきました。
演奏会のそのような準備を進める実行委員会のメンバーを中心に団員のみんなで協力して、みんなでひとつの本番を作ってまいりました。
今年のテーマは『未来を切り拓く旅へ出航!』
令和という新しい未来へ向かっていく希望の演奏会、
演奏しましたわたしたちと、
ご来場いただきましたお客様と一緒に時間をすごさせていただきましたこと、
本当に嬉かったです。
ステージの上で演奏をしながら、お客様の笑顔が見えました、
良かったー、めっちゃ楽しいーっ!
思いました(笑)
個人的にはちょっとだけ本音を言いますと…………
わたしも演奏中客席におりていきたい人なんですよね(笑)
数年前から棚上に据え置き状態です…ドラムセットを担当していまして、これはこれで頑張らないとね!と思います、実は演奏会後にとある方から
『サンバとスイングは8ビートと違う独特の練習が必要ですよ』と言われまして…………
するどいつっこみ、いただきました(笑)
まだまだ修行が必要です~
シティの定期演奏会、来年はちょうど40回目の節目の年を迎えます。
来年は今まで以上に頑張らないと!と、既に話が出ています、終わったばかりですけど(笑)
ご来場いただきますお客様と
演奏させていただく私達全員が楽しむ、楽しめる演奏会を目指してこれからも頑張っていこうと思います、
まだまだ未熟な私達ですが、これからも広島シティハーモニー吹奏楽団をよろしくお願い致します!
本当にありがとうございました。
2019年7月
広島シティハーモニー吹奏楽団
定期演奏会2019実行委員長 熊谷 英美
多くのお客様にご来場いただき、開場前から並んでくださったお客様もいらっしゃいまして本当に嬉しく思いました、
心から感謝を申し上げます。
昨年7月の西日本豪雨災害からちょうど1年がたち、昨年目の前に広がった光景を未だ忘れることは出来ませんが、今年またこうして演奏会を無事に開催できましたこと、
いろいろな方々のお力があってこそだと終わった今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
今年の定期演奏会は39回目の演奏会でした。
演奏会の準備は昨年の9月から開始で、まず団員から演奏したい曲の募集を始めました。
そこからおよそ10か月の時間をかけて
曲を決め、演奏会の流れを検討して演出や衣装、物品作成をして準備を進めてきました。
演奏会のそのような準備を進める実行委員会のメンバーを中心に団員のみんなで協力して、みんなでひとつの本番を作ってまいりました。
今年のテーマは『未来を切り拓く旅へ出航!』
令和という新しい未来へ向かっていく希望の演奏会、
演奏しましたわたしたちと、
ご来場いただきましたお客様と一緒に時間をすごさせていただきましたこと、
本当に嬉かったです。
ステージの上で演奏をしながら、お客様の笑顔が見えました、
良かったー、めっちゃ楽しいーっ!
思いました(笑)
個人的にはちょっとだけ本音を言いますと…………
わたしも演奏中客席におりていきたい人なんですよね(笑)
数年前から棚上に据え置き状態です…ドラムセットを担当していまして、これはこれで頑張らないとね!と思います、実は演奏会後にとある方から
『サンバとスイングは8ビートと違う独特の練習が必要ですよ』と言われまして…………
するどいつっこみ、いただきました(笑)
まだまだ修行が必要です~
シティの定期演奏会、来年はちょうど40回目の節目の年を迎えます。
来年は今まで以上に頑張らないと!と、既に話が出ています、終わったばかりですけど(笑)
ご来場いただきますお客様と
演奏させていただく私達全員が楽しむ、楽しめる演奏会を目指してこれからも頑張っていこうと思います、
まだまだ未熟な私達ですが、これからも広島シティハーモニー吹奏楽団をよろしくお願い致します!
本当にありがとうございました。
2019年7月
広島シティハーモニー吹奏楽団
定期演奏会2019実行委員長 熊谷 英美
定期演奏会2018 終了報告 @ぼうふり日記 その15
今回の西日本豪雨災害により、亡くなられたみなさまのご冥福をお祈りするとともに、ご遺族のみなさまの心中をお察ししお悔やみ申し上げます。
7月8日、広島シティハーモニー吹奏楽団 定期演奏会2018が無事終了しました。
天気も悪いなか、開演前からお待ち頂いたお客様、そして足をお運び下さいましたお客様、本当にありがとうございました。
そしてこのような状況の中、定期演奏会を影で支えて下さいました関係者の皆様ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
金曜日から降り続く大雨、そして各地で大きな被害が続く中、団としてどうするべきか検討した結果予定通り開催することを決定しました。
土曜日に行ったリハーサルでは『私たちに出来ることは何だろう…』『今この状況で本当に開催するべきなのか…』『演奏を通して少しでも楽しい時間を過ごせてもらえれば…』と、思い悩みながら参加する団員もいました。
それぞれが色々な思いを抱きながら、それでも今自分たちに出来る事を、自分達の思いを、全て出し切ることに努めた演奏会だったと思います。
ご来場くださいました皆様から頂いたアンケートには、
『演奏も演出も楽しかったです!』
『とても良かったです。元気をたくさんもらいました』
『来て良かった。明るくなれました』
など、心暖まるお言葉をたくさん頂き、演奏会を通じてお客様に元気になって頂くはずが、私たちが励まされさせて頂くことになりました。
本当にありがとうございました。
団としての大きな演奏会が終わり、また新たに前進していきます。
団として、1人の人間としてこれからも自分たちが出来ること、やらなければならないことをしっかり考えながら進んで行きたいと思っております。
まだまだ未熟な私たちですが、皆様にはご指導・ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
2018年7月
広島シティハーモニー吹奏楽団 常任指揮者 茶谷 厚
追伸
~今回参加出来なかった団員へ~
みんな復活を心待ちにしています。
落ち着いたら必ず帰っておいで!
そしてこちらで出来ることがあれば、いつでも誰でも何でも良いから甘えてください!
7月8日、広島シティハーモニー吹奏楽団 定期演奏会2018が無事終了しました。
天気も悪いなか、開演前からお待ち頂いたお客様、そして足をお運び下さいましたお客様、本当にありがとうございました。
そしてこのような状況の中、定期演奏会を影で支えて下さいました関係者の皆様ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
金曜日から降り続く大雨、そして各地で大きな被害が続く中、団としてどうするべきか検討した結果予定通り開催することを決定しました。
土曜日に行ったリハーサルでは『私たちに出来ることは何だろう…』『今この状況で本当に開催するべきなのか…』『演奏を通して少しでも楽しい時間を過ごせてもらえれば…』と、思い悩みながら参加する団員もいました。
それぞれが色々な思いを抱きながら、それでも今自分たちに出来る事を、自分達の思いを、全て出し切ることに努めた演奏会だったと思います。
ご来場くださいました皆様から頂いたアンケートには、
『演奏も演出も楽しかったです!』
『とても良かったです。元気をたくさんもらいました』
『来て良かった。明るくなれました』
など、心暖まるお言葉をたくさん頂き、演奏会を通じてお客様に元気になって頂くはずが、私たちが励まされさせて頂くことになりました。
本当にありがとうございました。
団としての大きな演奏会が終わり、また新たに前進していきます。
団として、1人の人間としてこれからも自分たちが出来ること、やらなければならないことをしっかり考えながら進んで行きたいと思っております。
まだまだ未熟な私たちですが、皆様にはご指導・ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
2018年7月
広島シティハーモニー吹奏楽団 常任指揮者 茶谷 厚
追伸
~今回参加出来なかった団員へ~
みんな復活を心待ちにしています。
落ち着いたら必ず帰っておいで!
そしてこちらで出来ることがあれば、いつでも誰でも何でも良いから甘えてください!
定期演奏会 『昭和の思い出』アンケート
定期演奏会にご来場いただいた皆さまありがとうございました。
また、演奏会中に募集した『昭和の思い出』アンケートにご協力いただいた皆さま、ありがとうございます。
たくさんのエピソードが寄せられ、昭和を知らない世代の私も懐かしい気持ちで楽しく読ませていただきました。
演奏会中は2通しか紹介できませんでしたが、いくつかこちらで紹介させていただきます。
※もちろん、BGMは「Always3丁目の夕日」で(^-^) ♪(笑)
夏の日暮 父は夕食が済むと家の前に椅子を持ち出して夕涼み。
だんだんとご近所のおじさんやその子供たちも集ってのんびりと世間話をしていたようです。
今だと考えられない町中の道路です。(55年くらい前になりますかねぇ~)
(63歳 女性)
昭和の音楽 私にとって夜おそくの音楽バラエティーNHKの『夢であいましょう』、坂本スミ子が歌う番組のエンディングテーマソング、坂本九の『上を向いて歩こう』、梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』等、忘れられない思い出となっております。
(63歳 男性)
戦争という底からみんな一生懸命にはいあがってきてたった一粒の米が、たった一ツの歌が、心をいやしてくれた昭和に生きて、今たった1本の指で押せば世界とつながり自分の思いを人に知らせる事が出来、人情がどこにも見つからないと思っている。たった一ツの心と心をつなぎたい。
(73歳 女性)
「戦争」がやっぱりいちばん想い出深く、昭和の当時の人たちは悲しいことや、辛かったこともたくさんあったのに、めげずに立ち上がる方が多いなーというイメージです。
(14歳 女性)
昭和はとても想い出の多い時でした。
幼児だった私は成長する為に多くの親類の人からの助けを頂きました。
今ふり返ってみると楽しいことの多い時間を過ごしたと思っています。
二人の子供と大家族に囲まれて幸福がずっと続いています。
その時の経験が今の大きな支えになっています。
(60歳 女性)
30代中ばでが『昭和』時代でまさしく私の青春時代でした。
良くも悪くも思い出いっぱいです。いちばん忙しい時でもありました。
音楽を聞く時間もあまりなかったように思います。
今はゆっくりと音楽も聞く時間も持て幸せです。来年も来たいと思います。
(64歳 女性)
被爆で何もない、小学校もなく、懐かしい思い出のみ。
知人、友人は“ない”。
子供時代の事は走馬灯の様に思い出すのみです。
(84歳 男性)
・四季折々の楽しみがあった様に思う
最近は季節感がうすれてる思いがする
春、近所が集まり花見、夏の夕涼み、秋柿栗と楽しみ、冬カマクラづくりソリ滑り等
・高度経済成長の名のもとに一般的に生活水準が上がり、車、家電と急激に進歩したこと。
高速道路が整備されて外国映画並みの国になってきたこと
(63歳 男性)
昭和39年、東京オリンピックの聖火ランナーの国内リレーで広島県内の可部地区を走りました。
当時は高校の1年生でした。
その時に走者に配布された記念メダル、ハチ巻き、ランニングシャツ、半パンは純正の箱に納めて大事に保管してあります。委嘱状もあります。
2020年のオリンピックでも出来れば走りたい気持ちはあります。
(68歳 男性)
暑い夏、エアコンはなく扇風機のなまぬるい風、帽子もかぶらず虫取りあみを持ってせみやバッタを追いかけた幼少期。
今は二人の孫のおばあちゃんです。
(56歳 女性)
お菓子の話
ぽかん菓子が来るのが楽しみでした。
ドカーンと大きな音がするのでビックリします来てる事がすぐわかりお米をもっていって作ってもらった思い出です。とてもおいしかった。
(55歳 女性)
おばあちゃんとせんとうへ行ったときにおふろから出てから買ってくれたオロナミンCがおいしかった。
もう、そのせんとうはなくなり、駐車場になってしまったけど、想い出はのこっています。
(46歳 女性)
遊びはアウトドア。空き地もいっぱいあり遊び場に困ることがなかった。
池や川も自由に入りたいほうだい。自分達で発想して遊びを考える自由があり楽しかった。
(55歳 男性)
ロックンロール、ビートルズ等今まで聞いた事のない曲が次々出て来ました。びっくりしたものです。
(68歳 女性)
近所の子供達がみんなでいっしょに遊んでいた。
比治山が遊び場だった。みゆき橋の下であさりを掘っていた。
京橋川では泳いでいる人がけっこういた。
(62歳 女性)
小生は高校時代(昭和30年代)ブラバンでトランペットを吹いていました。
当時はマーチが主体でした。
それでも あおきドナウやドナウ河のさざ波、ペルシャの市場にて、ブラームスのハンガリー舞曲第5番等々を演奏していた事想い出します。
小学校高学年時代、友人の家が喫茶店を営んでいて、ある時店にお邪魔することがあり、店内に流れるアメリカンポップスの軽快な曲とコーヒーの香りとタバコの臭いが今でもよみがえってきます。
(64歳 女性)
川の流れのように
昭和から平成にかわり美空ひばりが平成元年に亡くなった。
父親も同じ5月に亡くなった。時代の流れを感じた。
(69歳 女性)
洋楽が好きだったので、ビートルズ、カーペンターズ、アバを聞いて歌詞の意味をなんとかわかろうとしていました。どの曲も大好きです。
(52歳 男性)
・中学校の部活の土曜日の昼食(当時は昼までで)コカコーラのホームサイズ500mlとタカキリトルマーメイドのアップルパイを初めて食べて感動しました(昭和42年頃)
・元宇品にあった水族館で夏休み、親子で海水浴をした事(昭和35年頃)
(62歳 男性)
蒸気機関車に乗りトンネルに入った時のすすけむりのにおい。小学校の修学旅行の想い出。
(70歳 女性)
その日大学生で卒業論文作成真っ最中。
突然昭和が終わった。(1989/1/6)
当時は昭和の年号が半永久的に続くような錯覚を皆持っていたはず。
でも物事には必ず終わりというものがあると改めて思い知らされた日であったことを覚えている。
(52歳 男性)
携帯電話がなかったので、つきあっている彼からの電話を家族より先にとるために、かける時間を決めて、電話の前でかかってくるのを待っていました。
今では考えられないですね!!
(48歳 女性)
すてきなエピソードをありがとうございました♪
また、演奏会中に募集した『昭和の思い出』アンケートにご協力いただいた皆さま、ありがとうございます。
たくさんのエピソードが寄せられ、昭和を知らない世代の私も懐かしい気持ちで楽しく読ませていただきました。
演奏会中は2通しか紹介できませんでしたが、いくつかこちらで紹介させていただきます。
※もちろん、BGMは「Always3丁目の夕日」で(^-^) ♪(笑)
夏の日暮 父は夕食が済むと家の前に椅子を持ち出して夕涼み。
だんだんとご近所のおじさんやその子供たちも集ってのんびりと世間話をしていたようです。
今だと考えられない町中の道路です。(55年くらい前になりますかねぇ~)
(63歳 女性)
昭和の音楽 私にとって夜おそくの音楽バラエティーNHKの『夢であいましょう』、坂本スミ子が歌う番組のエンディングテーマソング、坂本九の『上を向いて歩こう』、梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』等、忘れられない思い出となっております。
(63歳 男性)
戦争という底からみんな一生懸命にはいあがってきてたった一粒の米が、たった一ツの歌が、心をいやしてくれた昭和に生きて、今たった1本の指で押せば世界とつながり自分の思いを人に知らせる事が出来、人情がどこにも見つからないと思っている。たった一ツの心と心をつなぎたい。
(73歳 女性)
「戦争」がやっぱりいちばん想い出深く、昭和の当時の人たちは悲しいことや、辛かったこともたくさんあったのに、めげずに立ち上がる方が多いなーというイメージです。
(14歳 女性)
昭和はとても想い出の多い時でした。
幼児だった私は成長する為に多くの親類の人からの助けを頂きました。
今ふり返ってみると楽しいことの多い時間を過ごしたと思っています。
二人の子供と大家族に囲まれて幸福がずっと続いています。
その時の経験が今の大きな支えになっています。
(60歳 女性)
30代中ばでが『昭和』時代でまさしく私の青春時代でした。
良くも悪くも思い出いっぱいです。いちばん忙しい時でもありました。
音楽を聞く時間もあまりなかったように思います。
今はゆっくりと音楽も聞く時間も持て幸せです。来年も来たいと思います。
(64歳 女性)
被爆で何もない、小学校もなく、懐かしい思い出のみ。
知人、友人は“ない”。
子供時代の事は走馬灯の様に思い出すのみです。
(84歳 男性)
・四季折々の楽しみがあった様に思う
最近は季節感がうすれてる思いがする
春、近所が集まり花見、夏の夕涼み、秋柿栗と楽しみ、冬カマクラづくりソリ滑り等
・高度経済成長の名のもとに一般的に生活水準が上がり、車、家電と急激に進歩したこと。
高速道路が整備されて外国映画並みの国になってきたこと
(63歳 男性)
昭和39年、東京オリンピックの聖火ランナーの国内リレーで広島県内の可部地区を走りました。
当時は高校の1年生でした。
その時に走者に配布された記念メダル、ハチ巻き、ランニングシャツ、半パンは純正の箱に納めて大事に保管してあります。委嘱状もあります。
2020年のオリンピックでも出来れば走りたい気持ちはあります。
(68歳 男性)
暑い夏、エアコンはなく扇風機のなまぬるい風、帽子もかぶらず虫取りあみを持ってせみやバッタを追いかけた幼少期。
今は二人の孫のおばあちゃんです。
(56歳 女性)
お菓子の話
ぽかん菓子が来るのが楽しみでした。
ドカーンと大きな音がするのでビックリします来てる事がすぐわかりお米をもっていって作ってもらった思い出です。とてもおいしかった。
(55歳 女性)
おばあちゃんとせんとうへ行ったときにおふろから出てから買ってくれたオロナミンCがおいしかった。
もう、そのせんとうはなくなり、駐車場になってしまったけど、想い出はのこっています。
(46歳 女性)
遊びはアウトドア。空き地もいっぱいあり遊び場に困ることがなかった。
池や川も自由に入りたいほうだい。自分達で発想して遊びを考える自由があり楽しかった。
(55歳 男性)
ロックンロール、ビートルズ等今まで聞いた事のない曲が次々出て来ました。びっくりしたものです。
(68歳 女性)
近所の子供達がみんなでいっしょに遊んでいた。
比治山が遊び場だった。みゆき橋の下であさりを掘っていた。
京橋川では泳いでいる人がけっこういた。
(62歳 女性)
小生は高校時代(昭和30年代)ブラバンでトランペットを吹いていました。
当時はマーチが主体でした。
それでも あおきドナウやドナウ河のさざ波、ペルシャの市場にて、ブラームスのハンガリー舞曲第5番等々を演奏していた事想い出します。
小学校高学年時代、友人の家が喫茶店を営んでいて、ある時店にお邪魔することがあり、店内に流れるアメリカンポップスの軽快な曲とコーヒーの香りとタバコの臭いが今でもよみがえってきます。
(64歳 女性)
川の流れのように
昭和から平成にかわり美空ひばりが平成元年に亡くなった。
父親も同じ5月に亡くなった。時代の流れを感じた。
(69歳 女性)
洋楽が好きだったので、ビートルズ、カーペンターズ、アバを聞いて歌詞の意味をなんとかわかろうとしていました。どの曲も大好きです。
(52歳 男性)
・中学校の部活の土曜日の昼食(当時は昼までで)コカコーラのホームサイズ500mlとタカキリトルマーメイドのアップルパイを初めて食べて感動しました(昭和42年頃)
・元宇品にあった水族館で夏休み、親子で海水浴をした事(昭和35年頃)
(62歳 男性)
蒸気機関車に乗りトンネルに入った時のすすけむりのにおい。小学校の修学旅行の想い出。
(70歳 女性)
その日大学生で卒業論文作成真っ最中。
突然昭和が終わった。(1989/1/6)
当時は昭和の年号が半永久的に続くような錯覚を皆持っていたはず。
でも物事には必ず終わりというものがあると改めて思い知らされた日であったことを覚えている。
(52歳 男性)
携帯電話がなかったので、つきあっている彼からの電話を家族より先にとるために、かける時間を決めて、電話の前でかかってくるのを待っていました。
今では考えられないですね!!
(48歳 女性)
すてきなエピソードをありがとうございました♪